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2018.12.14 テレビ

テレビの今昔

 

はじめまして。ハリーです。

 

普段は映像・動画配信を生業としております。

今まで登場した各人とは違い、技術屋でも営業でもございません。

普段は日の目を見ない「運用」分野です。問題が発生しなければ

気にも止められない極めてナチュラルな存在。それが「運用」です。

 

最新の技術やプロジェクトのお話でも書ければ素敵なブログの

完成かもしれませんが、あいにくそういったものはございませんので

生業としている「テレビ」について書こうかと思います。

 

「テレビは終わった」

 

と言う言葉を最近よく聞きます。

実際に終わっちゃあいないと思ってますが

今も昔も「その時間帯で視聴者が一番必要なこと」をやっていれば

まだまだ人は集まってくるようです。

 

ただ、昔より今の方が選択肢が細かく、「より」必要なことが、

「得たい方法」と共に自身で選べるようになったので、

大概の「時間」、すでに必要なものは、

ベースが「選択済」になっているのです。

 

ちなみベース「選択済」の時間にはSNS、ゲームなどなど。

情報や、その取得方法の選択の以前に、多様化した「やること」の

選択があるわけで、その戦いにテレビが勝たなければならないのです。

 

昔は「選択」自体の役割をテレビが担っていたので、文字通りいろいろな

モノを映す「魔法の箱」だったわけですが、結局のところ、

見る見ないに関わらず、今も昔も「インプット」と「共有・共感」を

「何」で、「いつ」、「どこで」するか、というテーマは変わっていません。

 

 

先ほどの「選択」、インプットのお題で例にすると、

リアルタイムの情報をつかむ方法として、電車の中で

 

・ワンセグでニュースを見る人

・ネット記事でニュースを見る人

 

のざっくり2つで分けるとします。

 

選択の固定的な部分として「聞く」か「読む」か。

選択の流動的な部分としてその時の「気分」と、得る「時間」があります。

固定的な部分については、選択として、とても大枠です。

いわゆるテレビかネット記事かの選択ですが、大枠な分、細分化は容易です。

 

例えば

聞く→発する人物は誰か。声、人格、容姿など。

読む→読みやすさ。同一内容でも記事の長短など。

 

「聞く」も「読む」も信用が前提ですが、限られた時間で、

できるだけたくさんの情報を効率的に、より「疲れずにインプットできるか」

と今風な捉え方で考えると、「聞く」ことは「読む」人のテンポや、

読み終わり、を待たなければいけないこと、「読む」人の個性という

余計な情報も含まれるため、選択する人は減っていきます。

 

ただ、今昔で考えると、結局のところ、実際には「テレビ」と「新聞・雑誌」が

「テレビ」と「ネット」に変わっただけで大した変化はないです。

 

流動的な部分としては

 

「気分」→今どんなものが見たいか

「時間」→いま見られるもの

 

「気分」は「今見たいもの」なので相当いい加減なもので予測不可能です。

「時間」は「今見られるもの(タイミング)」そして「それに使える時間」なので

「気分」とうまくマッチングできればいいですが、だいたいマッチングなんか

しないので「時間がない」「このタイミングで読みたいものがない」など、

「気分で得られなかった満足を妥協をさせるもの」として「時間」が使われます。

 

ただ、流動的な部分については、時代が変わろうが、「人間」である以上、

行動には新旧大きな変化はないと考えています。

 

昔→リモコンでチャンネル適当に回しの行動を生む

今→スマホで記事徘徊

 

「今」の方が時間をさかのぼって過去の記事を漁る事もできるので

自分の「現在の気分」とマッチできる可能性が高いです。

 

なんて、こんな書き方をすると、いかにも今風の

マーケティング記事みたいになっていいですね。

 

 

大きく変化したのはその次、共有・共感の部分です。

こちらは細分化されすぎましたので、ここで詳しく記載するのは省きますが、

テレビはもともと集まって見るものでした。

 

街中に設置され、町中の人が集まってみる「該当テレビ」から

普及に伴い一家に一台の時代になり、最終的には携帯に組み込まれ

体にまとわりつくようになり、「配信」で時間の概念からも脱出しました。

 

面白いものを分かち合う、共感、共有することは楽しいですし、

一体感と安心を生みます。これだけは今も昔も変わりませんが

環境の変化に伴い、方法は変化しました。

 

「集まって視聴」し、同じ時間を共有するという感覚から、

個々に見たいタイミングで見て、共有・共感は後回しです。

 

最初で述べたとおり、生活の時間割でほとんど必要なことはベース、

「選択済」なので「見ない」とはいわないがタイミングは選びたいものです。

 

同じ場所にいなくてもSNSでリアルタイムで共有もできるし、

なんなら共有するのは後でもいい。

 

週末の土曜日に「8時だよ!」といっても集合するのは

週明け月曜日の10時頃だったりするのです。

 

長々と書きましたが、冒頭に立ち返ると、結局のところシンプルに

 

「テレビは終わっちゃいないがスマホも始まった」

 

という解釈が正しいんじゃないでしょうか。

 

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